八国山だより DIGITAL MAGAZINE P.18

水没する記憶

2026年6月9日 · 創刊特別号

Visual 大正ロマン調の細い装飾罫。背景に大正期の写真家による貯水池建設風景。

大正13年(1924年)、多摩湖(村山貯水池)が竣成した。 これは、帝都東京の急速な人口増加に対応するための 巨大インフラストラクチャーである。 当時の東京の人口は、 明治維新時の约160万人から 大正期には400万人を超えていた。 この劇的な人口増加を支えるためには、 かつてない規模の給水システムが必要だった。 そこで選ばれたのが、多摩川上流域への ダム建設計画だったのだ。 しかし、ダム建設に伴う「沈没地」の代償は、 計り知れないものだった。 旧勝楽寺村など、 北多摩郡の5つの村落が 湖底に沈むことになったのだ。 その人口:1,720名 その戸数:282戸 この数字が持つ意味を考えてみよう。 1,720人の人間は、 それぞれ、何十年という人生の記憶を持っていた。 その土地で生まれ、 その土地で育ち、 その土地で死ぬことを当然と考えていた人たちだ。 ところが、政府の決定は、一方的だった。 「この土地は、東京の給水源として必要である。 よって、お前たちは立ち退け。 補償金は支払う。」 つまり、個別の人間の「生のコンテキスト」は、 「国家的な水需要」という抽象的計算の前で、 完全に無視されたのだ。 これは何か? それは、「空間の暴力的な書き換え」である。 かつてそこに存在した「1,720の人生」は、 政府の一筆書きで「1,720の補償額」へと還元された。 つまり、人間は「消去」され、 データに「上書き」されたのだ。
    Marginal
  • 村山貯水池竣成:大正13年(1924年)
  • ダム高:44.5m
  • 容量:180,600,000 ㎥
  • 沈没した集落:北多摩郡大和村勝楽寺ほか
  • 移転民:1,720名
  • 移転戸数:282戸
  • 補償額:時価(約定めなし)
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