八国山だより DIGITAL MAGAZINE P.18
水没する記憶
Visual 大正ロマン調の細い装飾罫。背景に大正期の写真家による貯水池建設風景。
大正13年(1924年)、多摩湖(村山貯水池)が竣成した。
これは、帝都東京の急速な人口増加に対応するための
巨大インフラストラクチャーである。
当時の東京の人口は、
明治維新時の约160万人から
大正期には400万人を超えていた。
この劇的な人口増加を支えるためには、
かつてない規模の給水システムが必要だった。
そこで選ばれたのが、多摩川上流域への
ダム建設計画だったのだ。
しかし、ダム建設に伴う「沈没地」の代償は、
計り知れないものだった。
旧勝楽寺村など、
北多摩郡の5つの村落が
湖底に沈むことになったのだ。
その人口:1,720名
その戸数:282戸
この数字が持つ意味を考えてみよう。
1,720人の人間は、
それぞれ、何十年という人生の記憶を持っていた。
その土地で生まれ、
その土地で育ち、
その土地で死ぬことを当然と考えていた人たちだ。
ところが、政府の決定は、一方的だった。
「この土地は、東京の給水源として必要である。
よって、お前たちは立ち退け。
補償金は支払う。」
つまり、個別の人間の「生のコンテキスト」は、
「国家的な水需要」という抽象的計算の前で、
完全に無視されたのだ。
これは何か?
それは、「空間の暴力的な書き換え」である。
かつてそこに存在した「1,720の人生」は、
政府の一筆書きで「1,720の補償額」へと還元された。
つまり、人間は「消去」され、
データに「上書き」されたのだ。
- Marginal
- 村山貯水池竣成:大正13年(1924年)
- ダム高:44.5m
- 容量:180,600,000 ㎥
- 沈没した集落:北多摩郡大和村勝楽寺ほか
- 移転民:1,720名
- 移転戸数:282戸
- 補償額:時価(約定めなし)