八国山だより DIGITAL MAGAZINE P.15
近代的所有権という暴力
Visual 明治時代の測量図面風の背景。硬質で輪郭の明確な明朝体レイアウト。
明治6年、政府は「地租改正」という法令を発令した。
それは、一見すると、単なる「税制改革」に見える。
だが、実は、それは「空間の再編成」であり、
「共有地という古来の慣習の消滅」であり、
「自然に対する人間の支配方法の根本的な変換」だったのだ。
江戸時代まで、八国山を含む武蔵野の雑木林は、
「入会地(いりあいち)」と呼ばれた。
入会地とは、「複数の村が共同で管理・利用する林野」である。
薪炭採集、茅葺屋根の材料集め、肥料採取——
こうした日常的な生活資源は、
共有地から「みんなで取り分ける」という慣習によって支えられていた。
つまり、それは「所有権」という概念が存在しない世界である。
むしろ、土地とは「使用権」であり、
その使用権は「共有」されていたのだ。
ところが、明治政府は異なる論理を導入した。
それが「私有地」という概念である。
「この土地は、誰のものか?」
という問いに対して、政府は次のように答えた:
「その土地は、『個人』の所有物である。
そして、個人が『納めるべき税額』は、その土地の『評価額』によって決まる。」
この一文が、日本の農村風景を一変させた。
国木田独歩という作家がいた。
彼は『武蔵野』という紀行文的随筆のなかで、
武蔵野の雑木林を「美しい自然」として描写した。
多くの読者は、その文章から、
「武蔵野とは、いつまでも変わらぬ自然の楽園である」
というイメージを持つ。
だが、実は、その「美しさ」は、
すでに「近代的な破壊」が進行中であるという現実を、
巧みに隠蔽していたのだ。
『武蔵野』が執筆された1900年の時点で、
すでに地租改正は27年が経過している。
つまり、独歩が「美化」した武蔵野は、
実は、共有地が細分化・分断された「痕跡の風景」だったのだ。
- Marginal
- 明治6年(1873年)地租改正
- 入会地から民有地への転換
- 武蔵野の雑木林面積:明治初期 25,000ha → 昭和40年 5,000ha
- 国木田独歩『武蔵野』(1901年執筆)
- 明治政府の近代化政策と農民反発
- 地方制度と土地台帳の整備